ブレードランナー2049
あらすじ:生きてるってなんだろ?生きてるってなあに?
※ネタバレしていますが、ただの感想です。
『ブレードランナー』の正統な続編ということ、それをドゥニ・ヴィルヌーヴが監督すること、主演がライアン・ゴズリングで、ハリソン・フォードもデッカード役を続投すること。それを知ったら観ないはずがないんですね。
前作は何度も観返すほどではないですが世界観は好きですし、原作本「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の文庫も持ってます(映画は同設定の別物)。
本作の主人公「K」(ライアン・ゴズリング)は新型のレプリカントで、旧型のレプリカントを処刑するブレードランナーとして働いています。人間からもレプリカントからも嫌われているようで、これは精神的・肉体的にかなりきつそう…。
なので家に帰ればアナ・デ・アルマス演じる「ジョイ」という彼女が家で待っていて癒してくれるわけですが、彼女はレプリカントどころかホログラフィなんですよね。でも彼女のためにモバイル端末(たぶんめっちゃ高い)を買ってあげるK。
でも事あるごとに強調されるのがジョイは商品であるということなんですよね。Kもそれをわかっていて愛している…。それが観ていてとても切なくなってきます。
Kが処刑したレプリカント・サッパー(デイヴ・バウティスタ)の農場から帝王切開の跡があるレプリカントの骨が見つかり、レプリカントが妊娠?出産?てなことで、いろいろと考えた結果「この子どもって俺じゃね?」って思うK。
結果としてそれは本当の子どもであるアナ・ステリン(カーラ・ジュリ)の記憶がモデルだったわけですが、真実を知ったときのKの失望たるや…。てかあのおばちゃんも「自分だと思っていたの?誰もがそう思いたいのよ」じゃないよ!ばか!もう少しオブラートに包め!
あとで思ったのは「誰もがそう思いたい」ということは、同じようにアナの記憶を断片的に受け継いだレプリカントがあそこに集まっているのかなぁってことですね。そう考えるとこれもまた切ないですわぁ。
Kはいろいろアレした結果、デッカード(ハリソン・フォード)と出会ってすったもんだした末に心を通わせるのですが、それはともかく彼の隠れ家にいるわんこのかわゆさよ。
デッカードがバーカウンターへ行きKにお酒をすすめるシーンで、わんこはじぶんのお気に入りの場所にぺたんと寝そべるのですが、カメラには映らないスタジオの手前側にトレーナーさんがいたんだろうなぁ、そっちの方をずーっと観てるんですよ。それがかわいくて。毛はボッサボサなのに目はクリクリで若そうなわんこだったなぁ。
デッカードの隠れ家は結局悪いやつに見つかって襲撃されますが、その時のこのシーンがいいですね。壁を突き破るK!別にこんなカットを挟まなくてもなんの問題もないのに!かっこいいのにちょっと笑える気もするのです。
笑えるといえばウォレス社の秘書であり武闘派でもあるラヴ(シルヴィア・フークス)が、暴徒に襲われるKを人工衛星兵器で助けるシーン。ネイルアートを施されつつ殺戮しまくるというギャップもそうですが、あんな兵器を操れる万能感がすごすぎて。ウォレス社どうなってるの…。
ラストのデッカードが娘アナに会うというシーン、あれはちょっとなくてもよかったんじゃないかって思いました。Kが雪の中で大義のための死を迎えるシーン、数々の苦難を超えて人間らしさを獲得した彼の最期で終わりを迎えたら感動的だったのになぁと思ったのでした。